あれやこれやそれや

悲しみを埋めるには しあわせの予感

新年はじまりました、のお話

あけましておめでとうございます。
ついに2019年です…。
2018年、年末に何かしら振り返りの記事を書くわけでもなく、年を越してしまった。

今年買ってよかったものとか、反省点とか、どんな年だったかとか振り返ればよかったんだけど年末に予定が詰まってたので(言い訳)。

反省とか抱負とかを決めるのは昔から苦手なんだよな。
反省すれば自分のダメさ加減を改めて目の当たりにしてめちゃくちゃ落ち込むし、抱負をかかげれば早い段階で挫折したときにさらに自分ができそこないなのがわかるので落ち込むし、とりあえずどっちも最終的には落ち込むので決めるのは苦手なんですけれども。

抱負や目標まではいかないまでも、こーしたいなー、こーできたらなー、みたいなのは決めたいなと。
抱負とか目標とかにするとちゃんとできなかったときにまた自信なくすので、できたらもうけもん、程度の認識で決めたいと思う。

ひとつめ。
『ブログを定期的に更新する。月に1回は記事をあげる。』
これはブログの更新頻度を上げたいのと、定期的に何かを書くことを癖づける、その書くことで自分のメンタルケアをするのが目的。
すごく考え事をするタイプの人間で、食事中も寝る直前も歩いているときも頭で何かしら考え事をしてしまうのだけど、それを定期的に出すことで個人的にはかなりスッキリするという知見を去年の11月〜12月くらいで得られたので続けていきたい。
なんで月1なのかは、それ以上の頻度だとできない可能性が小指の爪の先ほどくらいならあり得るので…。
そうするとメンタルケアも兼ねてるのに自分のメンタルを攻撃することになるので、これくらいが自分にはちょうどいいなと思う。
低いハードルをくぐっていくぜ。

ふたつめ。
『本を読む』
正直読みたい本がありすぎて積読状態なんですけれど、やっぱり本を読むのって楽しいし、私にとっては現実逃避の手段のひとつ。
いろんなものから解放されてどっぷり浸かれる時間なので。
読むスピードがだいぶ落ちてしまったのだけれど、ゆっくりでもいいから読みたいし、できることなら読んだ感想もブログに綴りたい。
具体的な冊数を決めたいところだけれど、本はすいすい読めるものとじっくり読むものとがあって、こればかりは出会ってみないとわからないので具体的な冊数や読むペースは定めないのが身のためだと思ったのでやめた。

みっつめ。
『自己肯定感を上げる』
私は自己肯定感がかなり低いほうだと認識していて、それを高めるために自分に対して手を加えてきたつもりではあったのだけれど私が予想した以上に自己肯定感が低いらしい。友人に叱られてさらに泣かれたレベル。
なので、やりすぎなくらいに自分を褒めたり、認めてあげようと思う。当たり前にやっていることこそ、すごいねって自分に言ってあげたい。

よし、さっそくブログを書いたので月に1回の更新はできたぞー!
新年早々すごいぞ私!えらーい!
マグロの刺身食べよう!


がんばってこーね。


肉まんを買いに行ったら日本語が難しかったお話

日本人ながら日本語の扱いに自信がない。

先日、某青と緑と白が目印のコンビニにプレミアムチーズ肉まんを目当てに赴いたのだけど、買えなかった。

買えなかったのはいいのだけど、そのときの店員さんとのやり取りにめずらしく愚痴を言いたくなったので、この記事を書いている。

その某コンビニでお目当てのプレミアムチーズ肉まんと他のいくつかの商品を購入するためにレジに向かった。
そのときの店員さんとのやり取りなのだけど

「申し訳ございません。そちらの商品(プレミアムチーズ肉まん)は仕込み中となっております。」

うん、ここまではわかるし、ここで終わっていたら私も特に何もなかった。
また買いにくればいいや~、って思ってたと思う。
でも店員さんがそのあとに

「いかがなさいますか?」

って聞いてきた。
思わず「えっ?」って言ってしまったのは変じゃないと思う。
私はこのときに店員さんがなんで「いかがなさいますか?」と聞いてきたのかが、いまだにわからない。

とりあえずそのときの私は「いかがなさいますか?」と聞かれたことで、予想していた「購入できない」ということ以外にも選択肢があるのか?と思った。
私はコンビニでアルバイトなどをしたことはないけれど、肉まんあんまん等のまん系統が「仕込み中」のときは基本的に購入できないものだと思っていた。
だが「いかがなさいますか?」と聞かれたことで、その前提がにわかに崩れ混乱してしまった。
そう聞かれたら他に何か選択肢があると思ってしまった。
後ろにお客さんも数人並んでるし、早くこの店員さんの言葉の意味をかみ砕いて自分の意思を伝えなければならない。
そう考えた私は店員さんの言葉をこう解釈した。

「(まだ仕込み中のため充分にあたたまっていませんが、それでもよろしければ購入できますけれど)いかがなさいますか?」

と結論づけた。
だから店員さんに
「えっと、それは結局購入できるってことなんでしょうか?」
と真っ正直に聞いた。
だって買えるものなら買いたかった。
食べたかった。
だってソイツ買うためにわざわざそのコンビニに立ち寄ったわけで。
一緒に買った飲むヨーグルトなんて二の次だ!
メインはお前なんだよ!プレミアムチーズ肉まん!!
でも店員さんは

「いえ、購入はできないです。」

えっと、じゃあなんでいかがしますか?とか聞いたんですかね…。
購入できないなら、「仕込み中です」で終わっておけばいいし、続けるなら「ご購入いただけません」でよかったんじゃないかなあ…。
とりあえずもやもやしょんぼりしながら会計は終えたけれども。

ニホンゴ、ムズカシイネー!!!

割と本気で悩んでいるのだけど、店員さんの「いかがなさいますか?」はどういう「いかがなさいますか?」
だったんだろう。
私はその問いかけにお客様としてどう答えるのが正解だったのか。
でも絶対店員さんに文句つけるダサい客にはなりたくなかったのでひたすらに内省してたのだけどだんだんと自分に落ち込んできた。
ええ~…、私そんなに理解力なかったかな…。
他の人ならあのタイミングでの「いかがなさいますか?」をどう捉えるんだろう。

もしかしてあれか、他の商品にしますか?の意味か?
「(プレミアムチーズ肉まんは仕込み中で購入不可ですけど、肉まんあんまんピザまんは購入可能ですが)いかがなさいますか?」

だったのかな?
なんかそれっぽい気がしてきたけど、ワタシ、ソコマデ汲ミ取レナイヨー!

なんかただ自分の日本語能力が低いだけな気がして気持ちが沈んできたのでここらへんで終わる。
だけどプレミアムチーズ肉まんはあきらめないからな。
この週末で絶対食べてやる。

お前らは獣になりすぎだろというお話

※獣になれない私たちの話はほぼほぼでてきませんので、それをお求めの方はUターンしてください。



中学聖日記を見てるとどうしてもイラッとしてしまう。

毎週火曜日22:00~から放送されている中学聖日記
主演は有村架純さん。
有村架純さん演じる中学校教師が生徒に思いを寄せられて、でも主人公には婚約者がいて~から始まるドラマ(流し見しかしてないのでぼんやりしている)。

いわゆる生徒と教師モノ。
まあありがちというか、ネタとしてはそこそこ使い古されているような内容。
今までに漫画、映画、ドラマ等々、さまざまメディアで作品が生み出されてきた題材でもある。

中学聖日記に限らずなんですけど、この生徒と教師モノ、見てるとイラッとする。
だって展開というか、パターンが決まっている。

生徒側が想いをぶつけて、先生ためらいながらも受け入れて、そのあとに生徒のためを思って身を引くか、保護者や学校の介入で引き離されて、でも再会するなりなんなりで最終的にはくっつく。

それが今までの作品の大半だったように思われる。
ただ生徒と教師モノをすべて網羅しているわけではないので、もしかしたらそうじゃないストーリーの作品もあるかもしれないのだけど。

今回の中学聖日記はまだ放送途中なのでどうなるか分からないけど、まあ私はエンディングはさほど気にしていない。
くっつこうが、別れようがそこはどうでもいい。
イラついているのはスタートだ。
生徒側が先生に想いを伝えるところが、もうダメ。

あのさあ、「好きだから、気持ちを抑えられない!」とか、マジでふざけ倒せよ。
アホか、アホなのか。
おーまーえーはーアーホーかー!(このネタ通じるの?)。
本気で好きなら、自分の気持ちを抑えることくらいしろ、って思う。

だって、生徒と教師だ。

何かあったら迫ったのは生徒側でも責任取るのは大人である教師側になるわけだ。
生徒と教師の不祥事なんてそうめずらしいことじゃない部類だ。

大学行って、教職課程の単位を取って教育実習に行って、採用試験を受けて手にした教師の立場を自分によって失わせたいのか。好きな相手の生活を壊したいのか。
そう思ってしまう。

それでも気持ちを伝えたいって、相手のこと考えてないじゃん。
そんなんただのセルフプレジャーじゃん。ソロプレイじゃん。自慰行為じゃん。
それは相手のことを好きだと言えるのかよ、って思ってしまうんだ。

それでも気持ちを絶対未来永劫伝えるな、というわけではなくて。
幸運にも相手が受け入れてくれたときに日陰を歩かなくてもいいような時期を迎えてから伝えろと言いたい。
伝えるなら高校卒業して次年度が始まる4月1日を迎えてからです。
卒業式が終わった後や翌日じゃダメなのか?

ダメです(食い気味)。

徒手帳や学生証には○○年3月31日まで有効、とか3月31日まで本校の生徒であることを証明するとか書いてあるので。
18歳になったからといって、卒業式を終えたからといって、即日高校生じゃなくなるわけじゃない。
3月31日までは今年度扱いなので身分としては高校生です。
18歳以上だけれども高校生という身分の間はいくら好きであろうとも社会人で大人で教師である相手側の立場を脅かすようなことは絶対してはいけない。そう絶対に。

なので、生徒と教師モノのセオリーである生徒側がまずは教師に気持ちをぶつけて、そこから話の本筋が展開されていくのが理解しがたい。

いやいや、そうしないと話始まらないじゃん、という意見もわかるのだけど。
それなら伝えたいけど伝えられない生徒側の葛藤を描くっていうのはダメなんかね。
18歳以上になって、高校卒業もして、そこからちゃんと後ろめたい関係性じゃないところから展開させてくってのはつまらないのかな?

結局生徒側が突進して、相手を困らせているっていう展開ばかりだ。
違う角度から生徒と教師モノを描くということがあってもいいのでは。

生徒側の好きだという気持ちに気づく→そうだ気持ちを伝えよう!って流れ、すごくインスタントに思える。
8話でも黒岩が聖に「先生してるとこ好きだった」みたいなこと言ってるけど、矛盾してない???
だって、教師である姿を見て好きになったんだよね?
それなのにすぐ気持ちを伝えて自分が惚れた教師である相手の立場を危うくさせる行為をしているの、違和感。
もっと言うと、学校外で2人でいるなよ。
変な噂がたったら困るのは教師側なんだよ。
好きなら、その辺に気を遣えよ…。
ただ好きだから気持ちを伝えたいとか一緒にいたいとかばっかりでさあ。
この辺は相手の教師側もまあ、脇の甘いこと、考えの緩いこと…。
理性はどこにいった!獣になりすぎてるだろ!!
水曜10時は新垣結衣さんが獣になれないなかで、お前たちはその前日に獣になりすぎだろ!
こりゃあクラフトビールでも呑まないとやってられんわ!!(そしてあまり強くない

いや、ドラマだからとかいうけどその辺をシビアに描いた作品も見たいなーと学校の先生を好きになったことのある私は思うのです。


はー、呑まんとやってられないので金曜の夜だけど水曜日のネコ呑みます。
けもなれ、もっかい見るぞ。
新垣結衣さんは天使。

自分に飽きてきたお話

最近唐突に思う。
髪を染めてみたい。
私は髪の毛を染めたこともパーマもしたこともないのです。

髪を染めたり、パーマかけたりしたら定期的なメンテナンス必要じゃん……。
めんどくさいことこのうえなしじゃん……。

髪が伸びるのがめちゃくちゃ速い(美容師さん曰く通常の人の1.5〜1.8倍くらい)ので、根元の染め直しとかも1ヶ月ごととかになるし、パーマも取れにくくするためにくるくる髪の毛を回しながら乾かしたりしなきゃいけないらしいので、そんなんめんどくさい!!!
と思ってて何にもやっていなかった。

黒髪にポリシーがあるとかじゃなくて、ただ単に手入れが楽で無駄なお金がかからないという理由でカラーリングもパーマもしていなかった。

もはや人としてどうよ?というレベル。


それなのになーんで急に髪を染めたくなったのか。

自分に飽きた。

先述の通りカラーリングもパーマもしない奴なので、美容院に行ってもカットとトリートメントくらいしかやることないわけで。
いまの美容院通い始めて2〜3年になるのだけど、美容院に行ってカットとトリートメントくらいしかしないことに飽きてきた。

うん、飽きてきた。

変わらない自分の髪の毛に飽きてきた!!
なんか変化がほしーい!
でも定期的なメンテナンスが必要なことはしたくなーい!(超絶怒涛のワガママ野郎)
うううん、やっぱり無理かあ……。
と思ったのですが、カラーリングを何度もやったことのある友達に相談したところ、黒髪から黒髪に染めれば??とのお返事。

ま、マジか、そんなんできるのか??

私は髪の毛が真っ黒過ぎるのである。
それはもう真っ黒。
墨か?墨汁をブチまけたか??
ってくらいに真っ黒。
主張が強い。
あと髪の毛の量が多いのと、毛自体が硬くて太いのでそれに墨汁のごとき髪の色がフュージョンされるとなんとも言えぬもっさり感が出てしまうのです。
それが柔らかさのある黒髪になるようなカラーリングがあるらしい。
しかもブリーチなしでできるらしいので根元が黒くなる心配もないとのこと。

なるほどな?なるほどな??
俄然興味出てきたぞ。

よし、さっそく美容院を予約。

と思ったのですが髪の毛切ったの1週間前なんだよな。
さすがに気まずいので、今度前髪カットにいくときにカラーリングできそうか相談してみることにする。
そもそもパッチテストでダメなら、ででーん!アウトー!!なので(さりげなくねじ込む年末感)。

こんな中身のうっすい文書書いてしまったけど、前の記事とかそこそこ暗い文だったのでまあ、たまにはね。

でも熱しやすく冷めやすいタイプだから1週間後には髪染めなくてもいーやーってなってそう。

自分の見た目にも内面にも飽きやすいなあ。

「こころ」は呪いの本であるお話

今週のお題「読書の秋」

久しぶりに、本当に久しぶりに夏目漱石先生の作品を読みました。
あまりにも有名すぎる作品「こころ」。
高校生の頃に現代文の授業以来です。
あの頃は「こころ」という作品がいまいちよくわかっていなくて、授業の取り扱う教材のひとつでしかなかった。
授業を受けていたときに一応図書室で「こころ」を借りて、読破してはみたものの感動をあまり覚えなかった。
(やっぱり自分のことばっかり考えているとダメなんだなあ。)
っていう程度。本当にひどい。
何にもわかっちゃいない。でもテストの点数はよかった。
それよりも動物が大好きな私は「吾輩は猫である」に夢中で、あの皮肉でユーモラスな作品のほうがよほど面白く感じていたけれど、それも文学作品としてではなく、ただ人の愚かさやくだらなさを描いていて、読者として安心するための読み物であって、夏目漱石の作品としての文学的価値とかは捉えていなかった。


そこから年月は経過して今に至るけれど、読む本といえばもっぱらミステリーばっかりで、漱石先生をはじめとする純文学はとんと関わってこなかった。
それなのに、なんで今更になって漱石先生に、しかもあの「こころ」を読んでみることになったのかという理由だけれど、それについてはこの前ブログ記事を書いたので、もし興味がある人はどうぞ。

ktre30.hatenablog.com


この「人生を狂わず50の名著」のひとつとして「こころ」が紹介されていた。
著者である三宅香帆先生の烈しい熱と紹介文が、50冊の中でいちばん私に刺さったのが「こころ」だった。

そういうわけで、久方ぶりに漱石先生の作品を読んだけれど。
ううう…、ただただ美しい。
こんなにも美しい日本語が、文章がこの世に存在するんですね(1回読んでるだろっていうツッコミはなしで)。
なんで私はこの夏目漱石の文体の美しさにあの頃気づいていなかったのだろう。
その当時の拙い感性や価値観の問題と言ってしまえばそうかもしれないんだけど、この美しさに気づけなかったこの何年間が口惜しくてたまらない。
ただの教科書の題材、ただの皮肉屋でヒステリックで英国留学を機に神経症になった作家という切れ端だけじゃなくて、もっと早くに漱石先生とちゃんとしっかりと向き合うべきだった。

これは文学作品であり、もはやひとつの芸術作品だとすら思う麗しさ。

ああ、ほんともう、私の馬鹿野郎!!!

こんなに、人のこころを美しくまとめるあげることってできるんだ。
こんなに綺麗に人間のエゴイスティックさとか孤独って表現できるんだよ。
ドロドロ、ぐちゃぐちゃしがちで思わず目を背けてしまいそうな感情を。
無駄がなくて、でも言葉が足りないということもなくて、文章に一切のたわみも力みも歪みもない。

「こころ」は間違いなく文学的大傑作で、
それと同時に呪いの本であるとも私は思う。

我が身かわいさ故の過ちは私にだってもちろんある。
一度や二度じゃない。
そしてそれは自分をかわいがることと引き換えにもたらされた孤独を背負うという呪いだ。
この漱石先生の傑作を改めて読み返してみて、その文章の美しさに圧倒されたと同時に確認した。
これはある種の呪いについて書かれているのだ(オカルトとかホラー的な意味ではない)。

「人を呪わば穴二つ」という言葉があるように、自分が利を得ようとした、明るみに晒すことのできない行為はその事実を知る自分だけが自分を追い詰め、孤独へと引きずり込む。
ただ良い思いをするだけでは済まされない。必ず代償がある。
ただその代償が本当にあるのか、その代償の大きさはいかほどかなんて自分でもわからないし、それは自分だけが待ち受けなければならない。


そしてその呪いは誰しもがかけているし、かけられている。
我が身かわいさに取った行動がほの暗い孤独を一生纏うという呪いを自分自身にかけてしまったという話だ。
その顛末を鮮やかに美しくパッケージしたのが「こころ」だ。
フィギュアスケート五輪2連覇の某アスリートのお言葉を拝借するならば、人間のエゴと孤独のパーフェクトパッケージがこの「こころ」なんだと思う(パーフェクトパッケージネタが通じる人いるかな…)。

漱石先生は人間のエゴイズムを批判したとされているけれど、私は感銘も戒めも受けなかった。
私は「こころ」によって安心感を得てしまった。
「先生」がエゴイズムによってもたらされた孤独にひどく安堵してしまった。

だって孤独って疎まれる。
SNSで「孤独を感じる」なんてつぶやいた日には”かまってちゃん“だの”メンヘラ”だのと認定を受けてしまうし、たとえそう思ったことを表に出さなくともほぼ確実に引かれるし、心配されることなんてまずありえない。
ドラマや映画や音楽でもだいたい孤独は救済される。救済されるということは救われる必要がある、それを持ち続けてはいけないということだ。
どうしても孤独を抱えて生きていくのに精いっぱいなのに、さらにそれを糾弾されなければならないなんて、もう立つ瀬がないなあ、なんて思っていた。

だから「こころ」に安心してしまった。
だって夏目漱石先生が書いてるんだもの。

SNSの発達で人とのつながりが希薄に~」なんてわかったそぶりでのたまう人たちもいるけれど、孤独ってそんなわかりやすもんじゃないし、むしろつながりを感じるからこそつながり切れない部分が浮かび上がって、孤独も強化されて知覚してしまうと思う。

平成よりずっと前の(しかも平成は終わりかけている)明治の時代に、あの夏目漱石先生が書いているんだから、孤独を感じても別にいいんじゃないかって。
夏目漱石先生が「こころ」という作品でエゴイズムと孤独について書いたという事実そのものに安心してしまった。

いつだって人は自分が一番で、時には人を出し抜くし、騙す。
それが自分に孤独という呪いになって返ってくることもあるけれど。
人間ってそんなものだ。高尚なものではないんだ。
 私はそういう受け取り方をして、安心したのだ。
私は「こころ」に救われた。

生きいる限り、孤独から逃れることはできない(少なくとも私は)。
だからどうにかこうにかやり過ごしながら日々を過ごしていくしかないのだけれども
どうしてもうずくまってしまう日も出てくると思う。
そういうときに私はまた安心したくて、孤独を抱えていてもいいのだという確証を得たくて
また「こころ」のページをめくる日が来る。
私はもうこの本を手放せない。
孤独を抱える自分に耐えきれなくなるときに縋ってしまう。たぶん、一生。
そんな私もいつかは死ぬわけだけれども、そのときは私と一緒にこの本を燃やしてほしい。
私を救い続けた本として。


セキュリティ対策のお話

最近バグがひどい。
日常生活にやや支障をきたすくらいにはバグが起こる。
愛用のiPhoneさんはなんともないが、その持ち主がひどい。

冷蔵後を開けたものの何を取り出してよいかわかならくなったり、
カップアイスを食べた後にカップを流し台に、スプーンをゴミ箱に放ったり、
ドラッグストアに行って、新しい歯磨き粉、歯ブラシを買おうとして歯磨き粉だけ買って帰ってきたり(売り場としてどうあがいても隣同士なのに)
何か飲みたくなって、自宅の階下にある自販機の目の前に立った瞬間小銭もスマホも置いてきたことに気づいたり(もはや電子マネーすら使えない)。

私自身のバグが頻発しております…。

ただ、心のセキュリティ対策はいつもばっちりです、心のファイアーウォール、ばっちり。
Yes!人見知り!
Yes!コミュ障!

この前カフェで隣の席にいたお姉さんたち

「大人になって人見知りってどうなの?」
「他人に興味ないってどうなの?」

とおそらく職場の同僚の方を指しているであろう愚痴を仰っていた。

すみません、いい大人ですが全部当てはまりまーす!
いや、ねえ。どうにもならないんですよ。
基本的に人怖いし…。

そりゃあ、業務に支障きたしているならもう少し頑張って改善を試みたほうがいいと思うのだけど、その愚痴を言っていたお姉さん方はおそらく同僚であろう人見知りで他人に興味ない人から何か仕事をするうえで不利益を被ったのであろうか。

あんまりお仕事の話をしたくないけれど、基本的に仕事って依頼―受理―対応―報告のサイクルで成り立っているかと思うのですが(業種等によって差はあれど)、それがままならないくらいなら改善は必至だし、それができているのであれば問題ないのでは??

なんて、業務外のコミュニケーションはなるべく遠慮したい型人間の私は考えてしまう。

もしかして自分たちの話の輪に入らないだけで人見知りとか、他人に興味ないと結び付けているのではないでしょうね?
いや、でもさ、もしそうならさ、ちょっと待ってくださいよ。

こっちにだって入る話の輪くらい選ぶ権利があるのだが???
あと「他人に興味がない」んじゃなくて、「興味がある他人」と「興味がない他人」に分けられるだけだが???
お前に対しては興味がわかないだけだが???
あなたという人間が私に刺さらないだけだが???

人間関係なんてそんなもんじゃないの。
特にお仕事の場だとそうじゃない?違うのかな?
それは、ただ単純にあなたに興味がないのであって、他人すべてに興味がないとかそんなんじゃないんだ。
興味がある人には話しかけるし、そこから交流を図るけど興味ない人には必要最低限のコミュニケートでやり過ごすよね?みんなそうじゃないの…?どうなんだろ。

仕事仲間なり、友人なり、関係を深めたいなと思う人とそうじゃない人っているので、そういった意味で人って出会った他人に篩をかけているものだと思ってたし、私もそうしている。
もちろん自分自身が誰かの篩にかけられているのは重々承知で。
そんな無理して関わってもらいたくないもんね。
だから業務外で人見知りだとか、あまり話の輪に入ってこない人のことを責めるのはちょっと待てよ、と。

だって、よく考えたらすごい自信だなと思うのです。
自分は誰かに興味を持ってもらえて、話に付き合ってもらえるって考えているってことなんですよね?
その自己肯定感の高さ、拍手ものでございます。

そうなるとカフェのお姉さんたちが愚痴を言っていた意味合いが変わってくる。

「大人になって人見知りってどうなの?」
→もっと私と話してよ!
「他人に興味ないってどうなの?」
→もっと私に興味を持ってよ!

こうか?こういうことか?ツンデレかな??
でも私ツンデレ嫌いなんだよな。
最終的にデレるなら最初からデレろよ、と思うしツンツンするなら最後までツンを貫き通せよと。
あとツンツンした後にデレられてもツンツンしたときの印象の悪さ、リカバリできている人間に出会ったことない(あくまでも私比)。

話が逸れてしまったけれど、とりあえず業務上で必要なやり取りはできていることを前提として、自分が欲するリアクションが返ってこないからと言って「いい歳して人見知りなんて!他人に興味ないなんて!」っていうの切実にやめてほしい。
何度でもいうけどあなたが興味を持たれていないだけの可能性があるからな。
あなたという存在が相手に響いていないだけだからな。
もし、私がそう言われたとしても私は自分のことと自分の大切な人と物のことで精一杯なので、興味がわかない人に差し出す愛想と時間は持ち合わせていない。
心のセキュリティソフトは最新なので、自分にとって不要はものはガンガン排除している。
そしてこれからもそのスタイルでいく、絶対にだ。



人生が狂う本を50冊紹介された話

「人生が狂う」ってなんだろう。
これを聞いてだいたいの人はあまりよろしくない状況を思い浮かべる。
悲惨で、まともじゃなくて、目も当てられなくて、道理から外れている。
そんな「狂っている」人を見て(自分はああはならない、あんな愚かな人間じゃなくてよかった)と、自分が「狂う側」の人間ではないことにどうしたって優越と安堵を感じてしまう。

でも、それだけなのかな。
人は、少なくとも自分のなかのどこかには「狂いたい」という欲も持ち合わせているような気がしてならない。
だって大なり小なり規範から外れて、いわゆる羽目を外すのって楽しいから。
だから私はおそらくこの本を手に取ったのだと思う。

現役京都大学院生・三宅香帆さん著「人生を狂わす名著50」。
本のためのガイドブック、そして書評本なわけです。
この何やら若干不穏なタイトルを冠するこちらの本を読んだ感想を書きたいと思う。
ちなみに読んだのは2〜3ヶ月前なのだけど、なかなかまとめきれていなかったので
ここ数日の筆が調子こいてる状態に乗じて書いていく。

まずこのタイトルセンス。
タイトルからして私のぼけぼけした腑抜けた脳みそをぶん殴ってくる。 だって「読んだら人生が狂う本」ってことだ。しかも50冊も。なんだそれ。
そもそも人の人生狂わすような本がこの世に50冊も存在していて大丈夫なのか。もはや禁書では?
購入してすぐ戦々恐々とページをめくったのだけど、み、三宅さん。
いや、もう尊敬の念を込めて三宅先生と呼ばせてほしい三宅先生すっげえ。

『私にとって、読書は、戦いです。』p7


おぅふ。なんか生半可に読書してて申し訳ない。
私は結構ちょろい性格をしているので、モノや人などをプレゼンされるとすぐ手にとりたくなったり、もっともっと知りたくなってしまう。
今までもそうやっていろんなジャンルのプレゼンテーションを自ら進んで見たり聞いたり、読んだりしてきたけど三宅先生の求心力はその中でも群を抜いている。
三宅先生の紹介する名著も、文章も、その文章によってデコレートされた本や作家さんへの愛もパンチが効いていて、これ、ダメなやつだって。私が好きなタイプの文章だってすぐに確信した。
三宅先生のファンになってしまったので、三宅先生のTwitterアカウントとか連載をやってるWEB媒体とか載せておく。

Twitter

はてなブログ
m3myk.hatenablog.com

■cakes
cakes.mu

■note
note.mu


三宅先生の文章自体がとっても素敵なのでぜひ読んでほしい。
私の中で「その人が扱う言葉」って比重がすごく重くて、自分好みの言葉を扱ったり、文章を綴る人だと軽率にその人ごとその人の作品なんかも好きになってしまう。
そんな私にとって三宅先生の綴る文章は完全にストライクなのだ。こっちが恥ずかしくなるくらい惜しげもなく晒しだされた本に対する愛の文章がとっても心地よくてでも押しつけがましくなくて、その本と出会ったときのテンションが伝わる。久しぶりに読んでいてときめく文章と出会った。
そんな三宅先生の本なのだけれど、二項対立形式に本が紹介されているのですが、目次すら面白いので、私の好きな目次と三宅先生が記したパワーワードをいくつか紹介していきたい。

◎目次
眠れる美女/川端康成
常識的フェチシズム vs 狂気的フェチシズムー自分の変態度をグレードアップしたいあなたへ

ヴィヨンの妻/太宰治
女はやさしい vs 女はこわいー太宰治の言葉に殺されたい人へ

・時間の比較社会学/真木悠介
どうせ死ぬ! vs だけど生きる!ー生きるとか死ぬとかってけっこう虚しいよなぁと思う人へ

・コミュニケーション不全症候群/中島梓
まともに生きる vs ヘンタイとして生きるー社会に適合するのってむずかしいと思うあなたへ

・約束された場所で/村上春樹
他人のいる「こちら側」vs 他人のいない「あちら側」ー日本の、いや「私たち」の闇について知りたいあなたへ

・わたしを離さないで/カズオ・イシグロ
生きるってすばらしい vs 生きるってかなしいーこの世でいちばん切ない小説を読みたいあなたへ

パワーワード
高慢と偏見/ジェイン・オースティン
素晴らしい小説を読むと、人間の「立派じゃなさ」に気づく

・眠り/村上春樹
村上春樹の描く小説は、はっきり言って、どいつもこいつも人が死にすぎ

・愛という病/中村うさぎ
血が吹き出して泥が飛び、読者も流血するわ作者は返り血と自分の血両方に濡れるわ、

・美しい星/三島由紀夫
私たちは生きているかぎり、思い込みという狂気のうえで踊るしかない

・初心者のための「文学」/大塚英志
初めてナンパ教室に来てキョドる男たちへ、華麗にナンパを指導する先生みたいだ。

堕落論/坂口安吾
適当な綺麗事語ってんじゃねえ。理想ぶんな。

いかがでしょう、もし少しでも刺さるものがあるなら、ぜひ、切実にこの本を手に取ってみてほしい。
こんな感じで三宅先生が随所にキラーワードを散りばめていて、本当にページをめくるたびたびに三宅先生の文章が好きになるのだけれど、私の大好きなポイントがあるのです。
「作品や作家さんのマイナスポイントが出てこない」
っていうところ。
そう、愛しかない。世界には愛しかない←違う
何かを評するときにべた褒めってありえないし、ましてや少しは尖った言葉を使ったほうが“ウケる”時勢なのに作品や作家さんをバッサリといくようなことは何も書いていない。
ただひたすらに「こういうところがおもしろい!」「こういうところが楽しい!」とその作品の良いところを挙げているのだ。
そこがねえ、大好きなんです。深い、ふかーい本と作家さんへの愛があるのです。
愛があるからこそ、苦言を呈するとかいうの、愛に見せかけたマウント誇示が大っ嫌いなので。

だから冒頭で三宅先生が読書は戦いだと、書いたことが腑に落ちる。
たぶん読書は趣味と言っているような人ならこういう書き方にはならないんじゃないかな。
真剣に本に戦いを挑んでいるからこそ、その敵の手強さ=魅力がわかってしまう。
その戦いに挑んで三宅先生が敗北を喫した本を50冊、紹介してくれている。
50冊分の目次や紹介文がもれなく全部面白いし、こちらの好奇心のちょうとツボの浅いところを
的確に突いて、くすぐって、撫でてくる。
目次のところにもあるように二項対立式に書かれたのちに○○なあなたへ、とあるように日頃それぞれ何かしら思っているところがある人に刺さるような紹介の仕方をしてくれている。
50冊のうち1冊は絶対に書店に走りたくなる本が見つかるし、本を読むって言ってもじゃあどういうスタンスで読めばいいのよ?っていう人には特におすすめしたい。
本の読み方ガイドとしても楽しめるので、本を読みたいけど何を読めばいいかわからない、どう読み進めていけばいいかわからない人もぜひ、ぜひ、ぜひ読んで!
というよりシンプルにただの本としてもめちゃくちゃに面白い。

結果として50冊全部、全部読みたくなったので読もうと思う。本屋に行きたい。
いつ50冊全部いけるかわからないけれど。
でも、それくらい三宅先生の文章が吸引力が強くて、私もその50冊に戦いを挑んでみたくなった。
まずは、夏目漱石先生の「こころ」
なんか最初からラスボス感すごいけど、いいんだ。
高校生ぶりに「こころ」を読みたい。
「先生」と「K」に逢いたい。

ということで三宅先生の紹介文の中でも1番好きな「こころ」の紹介文を引用して、この記事は終わり。あ、Kindle版もあるからそれぞれのライフスタイルに合った媒体でぜひ買ってください、面白い、本当に面白いから。面白すぎて実質タダなので。


こころ/夏目漱石
自由 vs 孤独ー自分って実はめっちゃワガママなのでは…と思い始めたあなたへ
日本文学史上もっとも読者を狂わせる、人間の孤独の冷たさを完璧に綴った傑作。
教科書で読んだよって方も、ぜひもう一度。


人生を狂わす名著50

人生を狂わす名著50