あれやこれやそれや

悲しみを埋めるには しあわせの予感

セキュリティ対策のお話

最近バグがひどい。
日常生活にやや支障をきたすくらいにはバグが起こる。
愛用のiPhoneさんはなんともないが、その持ち主がひどい。

冷蔵後を開けたものの何を取り出してよいかわかならくなったり、
カップアイスを食べた後にカップを流し台に、スプーンをゴミ箱に放ったり、
ドラッグストアに行って、新しい歯磨き粉、歯ブラシを買おうとして歯磨き粉だけ買って帰ってきたり(売り場としてどうあがいても隣同士なのに)
何か飲みたくなって、自宅の階下にある自販機の目の前に立った瞬間小銭もスマホも置いてきたことに気づいたり(もはや電子マネーすら使えない)。

私自身のバグが頻発しております…。

ただ、心のセキュリティ対策はいつもばっちりです、心のファイアーウォール、ばっちり。
Yes!人見知り!
Yes!コミュ障!

この前カフェで隣の席にいたお姉さんたち

「大人になって人見知りってどうなの?」
「他人に興味ないってどうなの?」

とおそらく職場の同僚の方を指しているであろう愚痴を仰っていた。

すみません、いい大人ですが全部当てはまりまーす!
いや、ねえ。どうにもならないんですよ。
基本的に人怖いし…。

そりゃあ、業務に支障きたしているならもう少し頑張って改善を試みたほうがいいと思うのだけど、その愚痴を言っていたお姉さん方はおそらく同僚であろう人見知りで他人に興味ない人から何か仕事をするうえで不利益を被ったのであろうか。

あんまりお仕事の話をしたくないけれど、基本的に仕事って依頼―受理―対応―報告のサイクルで成り立っているかと思うのですが(業種等によって差はあれど)、それがままならないくらいなら改善は必至だし、それができているのであれば問題ないのでは??

なんて、業務外のコミュニケーションはなるべく遠慮したい型人間の私は考えてしまう。

もしかして自分たちの話の輪に入らないだけで人見知りとか、他人に興味ないと結び付けているのではないでしょうね?
いや、でもさ、もしそうならさ、ちょっと待ってくださいよ。

こっちにだって入る話の輪くらい選ぶ権利があるのだが???
あと「他人に興味がない」んじゃなくて、「興味がある他人」と「興味がない他人」に分けられるだけだが???
お前に対しては興味がわかないだけだが???
あなたという人間が私に刺さらないだけだが???

人間関係なんてそんなもんじゃないの。
特にお仕事の場だとそうじゃない?違うのかな?
それは、ただ単純にあなたに興味がないのであって、他人すべてに興味がないとかそんなんじゃないんだ。
興味がある人には話しかけるし、そこから交流を図るけど興味ない人には必要最低限のコミュニケートでやり過ごすよね?みんなそうじゃないの…?どうなんだろ。

仕事仲間なり、友人なり、関係を深めたいなと思う人とそうじゃない人っているので、そういった意味で人って出会った他人に篩をかけているものだと思ってたし、私もそうしている。
もちろん自分自身が誰かの篩にかけられているのは重々承知で。
そんな無理して関わってもらいたくないもんね。
だから業務外で人見知りだとか、あまり話の輪に入ってこない人のことを責めるのはちょっと待てよ、と。

だって、よく考えたらすごい自信だなと思うのです。
自分は誰かに興味を持ってもらえて、話に付き合ってもらえるって考えているってことなんですよね?
その自己肯定感の高さ、拍手ものでございます。

そうなるとカフェのお姉さんたちが愚痴を言っていた意味合いが変わってくる。

「大人になって人見知りってどうなの?」
→もっと私と話してよ!
「他人に興味ないってどうなの?」
→もっと私に興味を持ってよ!

こうか?こういうことか?ツンデレかな??
でも私ツンデレ嫌いなんだよな。
最終的にデレるなら最初からデレろよ、と思うしツンツンするなら最後までツンを貫き通せよと。
あとツンツンした後にデレられてもツンツンしたときの印象の悪さ、リカバリできている人間に出会ったことない(あくまでも私比)。

話が逸れてしまったけれど、とりあえず業務上で必要なやり取りはできていることを前提として、自分が欲するリアクションが返ってこないからと言って「いい歳して人見知りなんて!他人に興味ないなんて!」っていうの切実にやめてほしい。
何度でもいうけどあなたが興味を持たれていないだけの可能性があるからな。
あなたという存在が相手に響いていないだけだからな。
もし、私がそう言われたとしても私は自分のことと自分の大切な人と物のことで精一杯なので、興味がわかない人に差し出す愛想と時間は持ち合わせていない。
心のセキュリティソフトは最新なので、自分にとって不要はものはガンガン排除している。
そしてこれからもそのスタイルでいく、絶対にだ。



人生が狂う本を50冊紹介された話

「人生が狂う」ってなんだろう。
これを聞いてだいたいの人はあまりよろしくない状況を思い浮かべる。
悲惨で、まともじゃなくて、目も当てられなくて、道理から外れている。
そんな「狂っている」人を見て(自分はああはならない、あんな愚かな人間じゃなくてよかった)と、自分が「狂う側」の人間ではないことにどうしたって優越と安堵を感じてしまう。

でも、それだけなのかな。
人は、少なくとも自分のなかのどこかには「狂いたい」という欲も持ち合わせているような気がしてならない。
だって大なり小なり規範から外れて、いわゆる羽目を外すのって楽しいから。
だから私はおそらくこの本を手に取ったのだと思う。

現役京都大学院生・三宅香帆さん著「人生を狂わす名著50」。
本のためのガイドブック、そして書評本なわけです。
この何やら若干不穏なタイトルを冠するこちらの本を読んだ感想を書きたいと思う。
ちなみに読んだのは2〜3ヶ月前なのだけど、なかなかまとめきれていなかったので
ここ数日の筆が調子こいてる状態に乗じて書いていく。

まずこのタイトルセンス。
タイトルからして私のぼけぼけした腑抜けた脳みそをぶん殴ってくる。 だって「読んだら人生が狂う本」ってことだ。しかも50冊も。なんだそれ。
そもそも人の人生狂わすような本がこの世に50冊も存在していて大丈夫なのか。もはや禁書では?
購入してすぐ戦々恐々とページをめくったのだけど、み、三宅さん。
いや、もう尊敬の念を込めて三宅先生と呼ばせてほしい三宅先生すっげえ。

『私にとって、読書は、戦いです。』p7


おぅふ。なんか生半可に読書してて申し訳ない。
私は結構ちょろい性格をしているので、モノや人などをプレゼンされるとすぐ手にとりたくなったり、もっともっと知りたくなってしまう。
今までもそうやっていろんなジャンルのプレゼンテーションを自ら進んで見たり聞いたり、読んだりしてきたけど三宅先生の求心力はその中でも群を抜いている。
三宅先生の紹介する名著も、文章も、その文章によってデコレートされた本や作家さんへの愛もパンチが効いていて、これ、ダメなやつだって。私が好きなタイプの文章だってすぐに確信した。
三宅先生のファンになってしまったので、三宅先生のTwitterアカウントとか連載をやってるWEB媒体とか載せておく。

Twitter

はてなブログ
m3myk.hatenablog.com

■cakes
cakes.mu

■note
note.mu


三宅先生の文章自体がとっても素敵なのでぜひ読んでほしい。
私の中で「その人が扱う言葉」って比重がすごく重くて、自分好みの言葉を扱ったり、文章を綴る人だと軽率にその人ごとその人の作品なんかも好きになってしまう。
そんな私にとって三宅先生の綴る文章は完全にストライクなのだ。こっちが恥ずかしくなるくらい惜しげもなく晒しだされた本に対する愛の文章がとっても心地よくてでも押しつけがましくなくて、その本と出会ったときのテンションが伝わる。久しぶりに読んでいてときめく文章と出会った。
そんな三宅先生の本なのだけれど、二項対立形式に本が紹介されているのですが、目次すら面白いので、私の好きな目次と三宅先生が記したパワーワードをいくつか紹介していきたい。

◎目次
眠れる美女/川端康成
常識的フェチシズム vs 狂気的フェチシズムー自分の変態度をグレードアップしたいあなたへ

ヴィヨンの妻/太宰治
女はやさしい vs 女はこわいー太宰治の言葉に殺されたい人へ

・時間の比較社会学/真木悠介
どうせ死ぬ! vs だけど生きる!ー生きるとか死ぬとかってけっこう虚しいよなぁと思う人へ

・コミュニケーション不全症候群/中島梓
まともに生きる vs ヘンタイとして生きるー社会に適合するのってむずかしいと思うあなたへ

・約束された場所で/村上春樹
他人のいる「こちら側」vs 他人のいない「あちら側」ー日本の、いや「私たち」の闇について知りたいあなたへ

・わたしを離さないで/カズオ・イシグロ
生きるってすばらしい vs 生きるってかなしいーこの世でいちばん切ない小説を読みたいあなたへ

パワーワード
高慢と偏見/ジェイン・オースティン
素晴らしい小説を読むと、人間の「立派じゃなさ」に気づく

・眠り/村上春樹
村上春樹の描く小説は、はっきり言って、どいつもこいつも人が死にすぎ

・愛という病/中村うさぎ
血が吹き出して泥が飛び、読者も流血するわ作者は返り血と自分の血両方に濡れるわ、

・美しい星/三島由紀夫
私たちは生きているかぎり、思い込みという狂気のうえで踊るしかない

・初心者のための「文学」/大塚英志
初めてナンパ教室に来てキョドる男たちへ、華麗にナンパを指導する先生みたいだ。

堕落論/坂口安吾
適当な綺麗事語ってんじゃねえ。理想ぶんな。

いかがでしょう、もし少しでも刺さるものがあるなら、ぜひ、切実にこの本を手に取ってみてほしい。
こんな感じで三宅先生が随所にキラーワードを散りばめていて、本当にページをめくるたびたびに三宅先生の文章が好きになるのだけれど、私の大好きなポイントがあるのです。
「作品や作家さんのマイナスポイントが出てこない」
っていうところ。
そう、愛しかない。世界には愛しかない←違う
何かを評するときにべた褒めってありえないし、ましてや少しは尖った言葉を使ったほうが“ウケる”時勢なのに作品や作家さんをバッサリといくようなことは何も書いていない。
ただひたすらに「こういうところがおもしろい!」「こういうところが楽しい!」とその作品の良いところを挙げているのだ。
そこがねえ、大好きなんです。深い、ふかーい本と作家さんへの愛があるのです。
愛があるからこそ、苦言を呈するとかいうの、愛に見せかけたマウント誇示が大っ嫌いなので。

だから冒頭で三宅先生が読書は戦いだと、書いたことが腑に落ちる。
たぶん読書は趣味と言っているような人ならこういう書き方にはならないんじゃないかな。
真剣に本に戦いを挑んでいるからこそ、その敵の手強さ=魅力がわかってしまう。
その戦いに挑んで三宅先生が敗北を喫した本を50冊、紹介してくれている。
50冊分の目次や紹介文がもれなく全部面白いし、こちらの好奇心のちょうとツボの浅いところを
的確に突いて、くすぐって、撫でてくる。
目次のところにもあるように二項対立式に書かれたのちに○○なあなたへ、とあるように日頃それぞれ何かしら思っているところがある人に刺さるような紹介の仕方をしてくれている。
50冊のうち1冊は絶対に書店に走りたくなる本が見つかるし、本を読むって言ってもじゃあどういうスタンスで読めばいいのよ?っていう人には特におすすめしたい。
本の読み方ガイドとしても楽しめるので、本を読みたいけど何を読めばいいかわからない、どう読み進めていけばいいかわからない人もぜひ、ぜひ、ぜひ読んで!
というよりシンプルにただの本としてもめちゃくちゃに面白い。

結果として50冊全部、全部読みたくなったので読もうと思う。本屋に行きたい。
いつ50冊全部いけるかわからないけれど。
でも、それくらい三宅先生の文章が吸引力が強くて、私もその50冊に戦いを挑んでみたくなった。
まずは、夏目漱石先生の「こころ」
なんか最初からラスボス感すごいけど、いいんだ。
高校生ぶりに「こころ」を読みたい。
「先生」と「K」に逢いたい。

ということで三宅先生の紹介文の中でも1番好きな「こころ」の紹介文を引用して、この記事は終わり。あ、Kindle版もあるからそれぞれのライフスタイルに合った媒体でぜひ買ってください、面白い、本当に面白いから。面白すぎて実質タダなので。


こころ/夏目漱石
自由 vs 孤独ー自分って実はめっちゃワガママなのでは…と思い始めたあなたへ
日本文学史上もっとも読者を狂わせる、人間の孤独の冷たさを完璧に綴った傑作。
教科書で読んだよって方も、ぜひもう一度。


人生を狂わす名著50

人生を狂わす名著50

数百円で幸せのお話

なんか昨日久しぶりに文章を書いたら、また書きたくなってしまった。
今日はゴロゴロする予定だった。

休みの日はどこかにお出かけしたり、人と会うことを「予定がある」というと思うのだけど、私にとっては何に気兼ねすることもなくだらしなく過ごす時間も立派な休日の予定だ。

目覚ましをかけずに朝起きて、二度寝して、また起きてなベッドからなかなか出ないでうだうだと過ごして、そのあとはお腹が空いたので散歩もがてら近くのベーカリーへ赴いてパンを購入して帰ってきた。

ちょっとシャレオツなベーカリーなのですっぴんで行くのは気が引けて、薄くご近所メイク的なことをしてみた。
ベースは石鹸落ちコスメで有名なオンリーミネラルのCCクリームとエトヴォスのパウダーして、眉マスカラして、CLIOのキラキラシャドウで有名なG10をつけて、少し秋メイク感を出してみようとイキがったのでボルドーのマスカラとリップで仕上げてみたけど、なんかご近所メイク仕様なのベースだけになってしまった。
近所にパン買いに行くだけなのにメイクに季節感出してどうすんだ、と思ったけど行く道に植えられている落葉広葉樹たちの色の移り変わりや落ち具合とマッチしていて歩いてて気分が良かったので無難な色味にしなくて良かった。

そのベーカリーは平日の営業時間がどうあがいても仕事中なので買いに行くことができず…。1ヶ月くらい前に病院の帰りに寄ってみたのだけど、とっても美味しくてびっくりした。
お店の見た目が、わかりやすく「ベーカリーだよ!パンあるよ!!」みたいな見た目ではないので、見かけるたびに気になってはいたものの何のお店かわからなくてなかなか踏み込む勇気がなかった。
でもあのときの病院帰り、先生からお言葉とよく効く薬をいただいて安心感から少し気が大きくなってたのかもしれない。
少し勇気が出せるような気がした。
今日は踏み込んでみよう、と思ったのだ。
扉を開けたときの芳しい香りと綺麗に並べられた焼きたてのデニッシュやパンやパイがキラキラしてて気がついたらトレーとトングを持って南瓜のクロワッサンを買っていた。
久しぶりに食べたちゃんとしたベーカリーのパンって本当に美味しくて、とっても幸せな気持ちになったので翌週もその次の週の土曜日も、気づいたら週1で通ってた。
ここ1ヶ月は土曜日のお昼ごはんはそこのベーカリーのパンを食べている。
毎週行くと、前回から半分以上も商品ラインナップが変わっているので今のところ飽きる気配がない。
そのパンにかぶりつきながら映画を観たり、本を読んだりするのがこのうえなく幸せだと感じる。
数百円で幸せが帰るなんてなんて素晴らしいのだ。
全然大きな決断でもないし、これによって人生がどうなるとかの類ではないけれど、あのときの訪れたことない場所に踏み込んだ、ちっちゃな勇気が私のちっちゃな幸せに繋がってる。
大げさなのかもしれないけれど、あのときにお店の扉を開けてみてよかった。
これからも幸せにさせてもらおう。

本日購入したお昼がこちら

・バジルとオリーブとチーズのパン(左)
・抹茶とチョコのデニッシュ(右)

こちらをしたためながら、フィギュアスケートを観てた。
グランプリシリーズ日本大会(NHK杯
フィギュアスケート好き。
ルールは薄っすらしかまだわからないし、ジャンプの見分けもフリップとルッツは怪しいけれど。
技術が上手いだけでも芸術性だけでも勝てない複雑なところとか美しい音楽と衣装とか。
選手の競技している姿を観ていると涙が出てきてしまう(笑)
氷の上での数分のためにダンスの勉強をしたり、過酷なトレーニングを続けたりと考えるとその命を燃やしている気高さと美しさに感動して、胸が締め付けられる。
どの選手も等しく、自分の想い描く理想の演技ができますようにと祈りながら観るので良い演技が続くと嬉しい。

今回のNHK杯女子シングルは神演技がたくさん観ることができて神大会でした…!
男子選手並みの技術点を叩き出してグランプリシリーズ初出場初優勝の紀平梨花ちゃんすごすぎる16歳…!宮原知子ちゃんとエリザベータ・トゥクタミシェワ選手はグランプリファイナル出場確定おめでとうございます!!ファイナルでも楽しみにしています!!

これを書いているときは男子シングル真っ最中なのでまだ結果は確定していないけれど女子に続いて神演技が続くといいなあ。

明日は少し本を読みたい気分。
もし気が変わらなければ少し本を読みたいな。
余裕があればまた何かしらブログ書きたい。
では。

社会にそぐわないお話

ついに立冬も迎えてしまった。
久しぶりすぎる。
書くといいながら全く何も書いていない。
自分の中で理屈を捏ね繰り回しながら、うだうだと思い悩んでは時間が過ぎていた。


日々生活しながら、ぽこぽこと文章を生み出せる人はすごい。
自分に関するアウトプットが苦手なのでどうしてもプライベート文章を書くにあたって気力も体力も使ってしまう。
書くネタがないわけではなくて、日々メモアプリにいろいろとしたためてはいるのだけれど、それを長い文章にするということがなかなかどうして難しい。

それはたぶん、私がかなり社会不適合な人間であるからに他ならないのではないかと、ここ最近推測している。
平日、つまり週5日間も社会の歯車としての使命を全うしていると、毎日帰ってくるだけでぐったりしてしまって土日は何もせずに横になって休んだり、近所にちょっとした買い物に行ったりするだけでここ数か月は精一杯だからだ。

こう書くと、私はすごく仕事を頑張っているバリバリのキャリアウーマンで社内外を行ったり来たりしているというように思われることもあるのだけど、全くそんなことはない。
私は仕事が嫌いだし、楽しいと思ったことも、やりがいも何も感じない。

ただ私が好きなもの食べ、好きなものを買い、自分を自分で満たすという目的を達成するためのお金を得る手段でしかない。

仕事を選ぶ時もそこそこのお金が得られて、休みが取れて、欲しい福利厚生があるか、というところでしか職業選択をしていない。

好きな四文字熟語は不労所得

よくそんな姿勢で、と自分でも思うけれど外面を良くすることは昔から得意だったのであまり問題はなく通過してきた。猫を被るのは上手いほうだと自負している。

こんなものだから、仕事にやりがいを持って真面目に頑張ってたり、キャリアアップとかに力を注ぐ人たちを見ると純粋にすごいなあ、かっこいいなあと思う。
そこまで純粋に尊敬できるのも、私がそうは絶対になりえない別の人種だからだ。
おそらく少しでも私に仕事に対しての熱意だったり、目標だったり、自分もそうありたいという気持ちがあったとする。
そうなると共感か、もしその気持ちが無自覚のものであったならおそらくジェラシーから辛らつな言葉や揶揄する言葉を吐きたくなると思う。「意識高い(笑)」とか。
でも、幸いというか残念というかそういった気持ちは1ミクロンとも出てこないので、おそらく私の人生にとって仕事は何も思い入れる必要のない、自分自身を注ぐものではないというカテゴライズなのだ。
ただそういう人たちの話を聞くのも全く苦ではなくて、別の世界の話を聞いているような感覚で非常に楽しいので友達の仕事の話はむしろ積極的に聞いている。

職場環境が悪いのかというと、そこは関係ない。ブラックじゃないし(むしろ超ホワイトだと思う)、職場の人も人生何周目なんだと思うような人たちばかりで恵まれているから、本当に本当に私がただただ社会不適合な人間なだけだ。

社会の歯車になっているときの自分にひとかけらもアイデンティティを見出すことができない私が全面的に悪い。
熱心に頑張ることはないが、すべきことはちゃんとこなしているので充分及第点だと思う。

それが文章を書くことが難しいこととどう繋がるのかというと、私は非常に社会に適合できていない人間で、それゆえ社会適合者に擬態をして週5日間×約8時間を過ごしていることはかなり精神的にも体力的にもきついものがある。
社会性をあるように見せかけてるし、元々ないコミュ力を社会的な場で振り絞っているのでメンタルがゴリゴリ削られていく。
そうして削られた精神、体力のゲージは人と会わないことでしか回復させることができないから、お休みの日はなるべく引きこもって過ごしている、いや、過ごす必要が私にはある。

たぶん世の中の人の大部分は休みの日にお出かけしたり、誰かと会ったりして英気を養うのだと思うけれど、私はそれだと余計に疲れてしまう。休めない。
たとえ1人でお出かけしたとしても人混みがしんどい。
だから誰かと休みの日に会うにはその前後の週で調整して引きこもれる時間をガッツリとらないと休みの日なのに休めなくて、平日の仕事に支障が出てしまうという根の深さだ。

背負うペルソナが重すぎて帰宅してから、あるいは休みの日に自分の中にある感情の動きやその背景を言語化して文章として形になるように精査してまとめるということが困難なくらいには疲弊してしまう。
ただどうしても自分の感情の揺れ動きを吐露しないとメンタルがパンクして、いよいよ使い物にならなくなるので何も考えずに自分のそのときの思いの丈を吐き出せるTwitterなんかは気軽に更新してしまって後から反省する。
反省はするが、後悔はしていない。

自分を掘り下げたと言えば聞こえがいい、ただの言い訳を書いたらなんだかスッキリした。
アウトプット大事。
今日は金曜日、土日はフィギュアスケート見ながらゴロンゴロンと過ごそ。
来週は出かける用事があるので、この土日で引きこもっておこう。
自分の身体と心は自分にしか守れない。
私は私が1番大事。




さよなら、8月のお話

お久しぶりです。
ブログの更新頻度をあげたいと思って、日々ネタのストックはしているもののそれを文章に起こすという作業がエネルギーも時間も必要で全然できない。
基本的に社会不適合な人間なので5日働いて2日休むという制度だと土日に身体を休めるので精いっぱいなんだ。これで土日に何か予定でも入ろうものならメンタルも体力もゲージがゼロになってしまう。本当に生きることに向いていない。エネルギッシュに土日も動ける人が本当にうらやましい。

8月も終わり。平成最後の夏だったけど特になんの感慨もなく、ただ年号が変わるだけっていう感覚しかない。 ただ今年の夏がとんでもなく暑くて本州の北のほうで生まれた私にはとてもきつかった、9月も暑い時期が続くようなので大概にしてくれよとややキレ気味にお天気アプリの週間予報を眺める毎日。
思い返せば7月には推しの舞台を観にいったり、東京ドームで巨人戦を観たりしたし、8月は楽天vs西武戦を観にいったし、NMBのツアーも観に行ったな。
あれ?普通に平成最後の夏けっこうエンジョイしたじゃん?自分でもどうしたってくらいアクティブ!すごい!自分で自分のアクティブさを褒めたい!えらいぞ!
楽天vs西武戦はビジター席だったんだけど1500円で観れたから案外敷居低い。東京ドームのほうはせっかくなのでそこそこのいい席で観戦したけれど、ビジター席でも充分ライトファンは楽しめるんじゃないかな。野球好きな友達とかといっしょに行って解説聞きつつ観戦すると知識も増えるし楽しいのですごくおすすめ。
いまJリーグイニエスタとかポドルスキーとかトーレスとか来てくれたからアツいけど、野球もアツいぞ!楽しいぞ!(しかしその年代のスペイン代表ファンにはよだれものなのでサッカーファンが騒ぐ気持ち、超わかる)
甲子園も最高だった。特定の高校を贔屓するタイプではないのでどこが優勝してもおめでとうなんだけど、負けた球児たちの涙を見ていると(もう、みんな優勝でいいじゃん…!)と身も蓋もないことを思ってしまう。このときのために自分たちの時間や身体を目一杯使ってるんだよな、と思うとしんどい、尊い。みんなすごいよね、お疲れ様でした。
NMBの全国ツアー記事も下書きに用意しているんだけど、推敲とかができてないからまだ載せる段階じゃない。 早いうちにやりたい。でも他にも下書きが中途半端になっているやついっぱいなんだよなあ。

でもね『時間は作るもの』という高尚な言葉はとても嫌い。だって物理的にないものはないし、無理くり時間作ってメンタル擦り減ったら元も子もない。時の神クロノスじゃないんだから時間を創造するなんて無茶な話だと思うの。ただでさえ自分のペースで事が運ばないことが多いんだから、趣味の範囲くらい自分のペースで。自分の好きなように文章を書くのは楽しいので遅筆でも書くことをやめたくないと思うのです。

平成最後の夏、思ったよりアクティブに過ごしてたな。 元号がどうなるかわからないけどきっと来年の夏も○○最初の夏!みたいな煽りがいっぱいあるんだろうなあ。
とりあえず今年みたいな酷暑にならないことだけ祈ってます。作物が育つ程度に涼しい夏を注文します。よろしく頼む。

夏休みのお話

月曜日、よく乗り越えたな自分。お疲れさまである。
月曜日の午前中がどちゃくそに眠いのだけどみんなどうやって起きてるの…。
私がダメ人間なだけかな。

7月最終週ですね。世の中の学生さんはみんな夏休みかな。怪我や熱中症に気を付けて、いっぱい楽しんで。
夏休み、記憶に残ってるのは小学生だな。中学生くらいにはもう暑いのがダメで参ってた気がする。 小学校のときは本当に元気いっぱいだった。
これは自慢になるんですけど、引きこもり体質のくせに運動神経いいんですよ。私。 走るのも泳ぐのも学年トップなくらいには。 経験した部活動もバスケット、陸上、水泳、バドミントンと運動系ばっかり。なのに引きこもり体質。ギャップ。 いまはどうなのかわからないけれど、小学校のとき夏休みにプール何回来るように、っていう課題の回数が決められてて、私はなんと午前と午後、両方行ってた。水はお友達状態。スイミングスクールに通っている子より泳ぐの速かった。父親が水泳の国体選手だったからです、ここ自慢。2〜3歳のころにはプールとか海で泳いでたし。泳げない意味が分からないって状態。 午前中プールの開園時間から閉園時間まで、祖母の家に行って水着とキャップを洗ってベランダで干しつつお昼ご飯食べて午後も開園時間から閉園時間まで。

アクティブすぎるな…???

たぶんこの小学生のときにその一生分のアクティブさを使い果たしてしまった気がする。
その反動が大人になってからきてる、間違いなく。
よく夏休みの宿題は朝の涼しいうちにやれって言われてたけど、もっぱら夕方からやってたし、それで不自由もなかった。海沿いの地域だったからよっぽど暑くならない限り夕方は涼しいから。
あと毎日天気書くやつはめっちゃ忘れてたので、適当に書いたり新聞をひっくり返してた。 あれ、なんの意味があるんだろうね。いま考えても本当に意味ないしくだらないなって思う。
1行日記みたいなので、その日したことを毎日書くのもあったけど、あれも意味ないなって感じてたからほぼ「プールに行って宿題していました」って書いてた。だって本当のことだし。

夏休み中はずっと祖父母の家にいて、というのも両親がフルタイム共働きで祖父母の家が実家から徒歩10分程度ととんでもなく近かったので朝から夕方までお世話になってた。おかげで完全におばあちゃんっ子。 おばあちゃん大好き。西瓜食べたり、かき氷作ってもらったりしてたなあ。懐かし。 懐かしすぎて涙出るわ。なんで小学生の夏休みってあんなに楽しくて切ないんだろ。
思い出補正もあって美化されてるような気もするけど、また小学生の夏休みしたい。
今ならEテレだけどNHK教育(歳がバレるな…)で普段学校に行ってると見れなかった番組見れるのめっちゃ楽しかった。ストレッチマンとがガンコちゃんとかニャッキとか。もちろん夕方はおじゃる丸忍たま乱太郎天才てれびくん。自分で書いててエモい。

私は田舎の生まれなので夏休みの思い出といえば入道雲に太陽に海にプールにひまわりで、暑いなか駄菓子屋さんで焼きそばとかアイスとか買ったり、おばあちゃんの家で西瓜にかじりついたりという、すごい風景画みたいな夏休みの思い出になるんだけど、住んでる場所によってその風景や体感することは違うよね。 クーラーが効いた室内で快適にアイス食べたり、塾の夏期講習の行き帰りでゲリラ豪雨にあったり、コンビニで買い食いするのが夏休みの思い出になる子もいるんだろうけど、どっちもその子にとって素敵な夏休みの思い出ならいいんじゃないかな。優劣なんてないわ。 学生さんたちは夏休み満喫してほしいし、

大人はそんなもんないから粛々と毎日過ごそうぜ。 頑張ってる大人たちはハーゲンダッツ食べようぜ。 いま発売しているクリスピーサンドの黒糖ほうじ茶がとんでもなくおいしいのでおすすめする。

魔法使いに会ってきたお話

魔法をかけてもらった。主に頭に。

美容院に行ってきただけの話。
いつも美容師さんにすべてをおまかせにしているのだけれど、今回は”基本おまかせしたいんですけど、暑いので似合う範囲で短くしてください“というなんともわがままお願いをしてしまった。
ただいま通っている美容師さんがとても上手なので、ここのところずっとおまかせしてるのだけど外れたことがまずない。

おまかせといってもカラーリングもパーマもしないのでたかが知れている。基本的にカットとチューニング(髪質改善)かヘッドスパぐらい。金払いの悪い客で申し訳ない。
今までカラーリングもパーマもしたことがない。いわゆるバージンヘアというやつなのだけれど、何かこだわりがあってそうしているのではなくて、ただただメンテナンスがめんどうくさい。
根本の染め直しだったり、乾かすときにくるくると指でねじりながらだったり。非常にめんどくさい。
世の中のそういう定期的なメンテナンスが必要になるヘアスタイルをしている人たちはすごいなあと思う。

綺麗に染まっている髪や綺麗に形づくられているスタイルは見ていて気分の良いものだ。
色素が薄めな子がミルクティー色にしてたりするのも好き。あとラベンダーっぽいカラーとかピンク系もかわいい。見るだけでいい。
アイドルちゃんたちがTwitterInstagramに「髪色変えてきました〜!」って投稿するやつ、めっちゃ好き。

あと美容院という空間も好き(になってきた)。美容師さんとお話するの嫌いじゃない。いまのところそういうトークが上手な人にしか当たってないからかもしれないけど。
押しつけがましくなくテンポよく会話を運べる人って本当にどういうところでその能力を磨いているのか。
話しかけられたら全力でのっかるし、会話も楽しめるけど自分からは一切話しかけられないタイプのコミュ障。
だから話しかけてきてくれる美容師さん、好き。
あと美容院って油断すると寝る。これも美容師さんによるのかな。
カットだったりの技術的なところじゃなくて、タオルで首元をぬぐったりとかのそういう些細なところのタッチや手の力加減が絶妙な人だともれなく眠くなる。
シャンプーからのドライヤーでのブローとか本当に眠くなるし、たまに「ね、寝てていいですか?」って断りを入れて眠らせていただいている。ごめんなさい、めっちゃ気持ちよく寝てる。

美容院ってお気に入りのところが見つかるとなかな新しいとこに行けない。
自分の髪質や似合う髪型をわかってくれるところをイチから探すのって厳しい。
今の通っているところがお気に入り過ぎて他を探す気も起きないけれど。
2ヶ月に1回のペースで通っているけど、通う用事ができるならもうちょっと通いたい。前髪だけのカット入れたら月1だけどね。
ただ通う口実を作れない。カラーのリタッチも必要ないし。ヘッドスパかトリートメントにすればいいんだろうけど、そうなるとカットと一緒にやったほうが安上がりだからなあ。変なところで貧乏性。
しかも2ヶ月ってそこそこ頻度高いほうじゃない?でも髪伸びるのすっごい早いからね、しょうがないね。美容師さんも毎回びっくりしてる。

今回はカットとヘッドスパ
なんと7〜8センチも。ばっさり。
前髪も切ってもらったし、まとも髪のための後れ毛も作ってもらった。
今日も満足のいく仕上がり。
美容師さんが「いやー、こんなに切るの久しぶりだからテンションあがるわー。ヒャッハー!」って言ってて若干のサイコパスみを感じたけどまあいいや。

美容院行くと、自分のことをちゃんと気にかけてあげている、って感じがして自己肯定感高まる。
美容院だけじゃなく整体とかでもそうなんだろうけど、やっぱり自分で自分を気にかけてあげるのって心の健やかさを保つためには必要なんだなと思う。
人に大事にされるためにはまずは自分で自分のことを大事にしましょう、ってことに落ち着いた。