あれやこれやそれや

悲しみを埋めるには しあわせの予感

格の違い

先日、某南国の果実をあえて水分を抜き、乾かすという手間を加えたものを食した。

フィリピンのセブ島産が有名らしく、私が食したものもその島で採られたものであった。
この果実、そのまま水分を含んだまま食しても美味しいし、この度のように水分を抜き取ったものでも非常に美味しくいただける。非常に振り幅の大きい特性を持っている。
この世に存在する生き物としての格の違いを感じられた。

こいつのように…とはいわないまでも、私には特筆すべき能力などもないのだから、もう少々できることに幅を持たせられないものか。
今の私にできることと言えば、この果実の水分を抜いたものをプレーンヨーグルトに入れ、数時間放置してから食すと大層美味しく食すことができるという情報提供ぐらいだ。



払わせてくれ

本来であれば請求されるはずの料金が明細にのらずにカード会社と携帯電話会社に交互に電話をかけるはめになっている。
どちらに問い合わせても両社の意見は交わることがないため、いまだ解決に至っていない。

神経が細いため、要求されるべきものがされてこないとなると焦りや不安が生まれるタイプだ。
私としては支払うべきものを支払っていない状態にあるため、サービスを不正に利用したとしてカード会社や携帯電話会社に罪人と認定されてしまうのではと気が気でならない。
こちらに落ち度はないのだから考えすぎだ、と友人に言われたが思考が行き着いてしまうのだからどうしようもない。

一刻も早い解決のためにもう何度目になるであろう携帯電話会社へ連絡を入れる。

あまりモンスターなお客様にはなりたくないし、もう10年以上利用している携帯電話会社なので社員の方々にも愛着はあるが、一度上席の方に代わっていただけないか申し出てみようか…。








くしゃみ爆弾




久方ぶりに風邪をひいた。
体調はよく崩すが風邪はなかなかひかない。
矛盾していると思うがメンタル由来で腹痛だの頭痛だのは多く催すが、のどが痛いだの鼻水だの咳だのという風邪の諸症状はめったに催すことがないのだ。
この風邪も2年か3年ぶりくらいになる。


もしかしてバカなのかもしれないな?


喉が痛いのと、くしゃみが止まらなくて、薬の力に頼らざるを得ない症状が強いので某キヨシ宅を訪れた。

少し見ない間に風邪薬の種類が増えているのもあってどれを選べばいいか全然見当つかない…。
風邪薬ってあんなにあるのか…。
どれがどう効くか全くわからないので、レジを捌いていた薬剤師さんにご相談させていただいた。
薬剤師は男性の方で穏やかな人だった。

今の症状とあまり眠気が出ないほうが望ましいことを伝え、大量に風邪薬が並ぶ棚の一角に案内してもらう。
季節的に花粉症も考えれるが風邪で間違いはなさそうか確認され無事に風邪薬を購入することができた。
薬剤師さんがあまりにも優しく丁寧に説明してくださるものだから、体調不良者の心に沁みすぎて泣きそうになった。

このタイミングでSNSでのやり取りをしていた家族や友人たちに風邪を引いたことをを伝えたらみんなに心配してもらった。
泣きそうになった(2回目)。



こんなに心配してもらえるならもっと頻繁に風邪ひこうか……

なにが望みだ?

既婚者たちに囲まれて話をする。
「子供は女の子がいい」
「男の子は実家から出ると全然寄り付かない」
「女の子はなんだかんだ戻ってくる」
「頼りになるのは女の子」

地元嫌いで催促されない限りは実家に帰ろうと思わない私


「あなたたちは娘さんに何を望んでいるんですか?」





とは言えずにレモンサワーを飲む。
もやもや。

妊娠小説というジャンルについてのお話

この世には「妊娠小説」という文学のジャンルがあるらしい。

らしいというのは、私が妊娠小説というジャンルを知ってから、まだ日が浅く、その妊娠小説というジャンルに言及している媒体をひとつしか知らないからだ。
その私が知る限り唯一、文学ジャンルのひとつとして妊娠小説を提唱しているのが下記の本になる。

 妊娠小説/斎藤美奈子著(1994・ちくま文庫)』

妊娠小説とは一体なんぞ⁉︎となるが斎藤先生はこう書いてくださっている。

小説のなかで、ヒロインが「赤ちゃんができたらしいの」とこれ見よがしに宣告するシーンがあるでしょう。そしてそのためにヒーローが青くなってあわてふためくシーンをあなたも目撃したことがあるでしょう。それはいつも、限りない「どこかで見たぞ」感とともに、わたしたち読者を鼻がムズムズしてくるような恍惚の世界へといざなってくれるものでした。
「妊娠小説」とは、いわば、かかる「受胎告知」によって涙と感動の物語空間を出現せしめるような小説のこと、であります。

あ、あるー!そんなシーン見たことあるーー!!
それで男がウジウジしたり女がそんな男に愛想を尽かしたり尽かさなかったりする人間のどーしよーもない部分が凝縮されたお話のことですね、わかります。
そしてこの「妊娠小説」というジャンルを斎藤先生は書き出しにてこのように説明してくれている。

日本の近現代文学には、「病気小説」や「貧乏小説」とならんで「妊娠小説」という伝統的なジャンルがあります。

なんと。
この「妊娠小説」というジャンルはかなりトラディショナルな文学ジャンルであるらしい。
まあ確かに、森鴎外の「舞姫」なんかはまさに妊娠小説である。
教科書の題材にもなっているので触れたことがある人も多いと思う。ドイツ人の女の子、エリスちゃんが妊娠してしまうやつだ。ちなみに私は森鴎外作品の中では「高瀬舟」派である。

このような妊娠小説がどのようにして生まれ、発展し、今日に至ってきたかを斎藤先生は明治時代、まだ妊娠中絶が堕胎罪だった頃からエッジの効いた言葉で紐解いてくれる。

そもそも「妊娠を告げる」じゃなく「受胎告知」という仰々しい四字熟語を使用する必要はないはずなのに 斎藤先生はあえてこの言葉を使う。
「受胎告知」なんて西洋の宗教画のタイトルでしか使われる場面を見たことないんだが…。
だが「妊娠小説」なのだから男に女が妊娠を告げないことには始まらない。「受胎告知」は「妊娠小説」において必要不可欠なビッグイベントであることを懇切丁寧に斎藤先生は述べてくれる。
『受胎告知の様式』なんて章も書いてくださっているのだ。受胎告知に様式なんてあるのがおかしくて笑ってしまう。

また妊娠小説においてほぼ必ず発動されるという妊娠小説においての法則を斎藤先生は発見し、説明してくれるのだが私はこの法則がめちゃくちゃに大好きである。

y > x
(出産抑止力は出産促進力より大きい)
男の「抑止力」は女の「促進力」」より大きい。もういっぺんいうぞ。なんじゃかんじゃいっても男のパワーの方が女のパワーより強い。これが妊娠物語の第二法則である。

笑わざるをえない。
森鴎外川端康成三島由紀夫村上龍村上春樹も妊娠小説を書いていて、日頃からどっぷり浸かるほど本に触れ慣れてないとそんな奴ら読めねーよ、と思われがちだがこんな法則を持ち出されては作品内で法則が発動する瞬間に出会いたくなってしまう。

こんな法則を発見してしまう斎藤先生は妊娠小説の根幹を揺るがすテーマにも鮮やかにメスを入れる。
そう、「避妊」である。
そもそもデキなければ妊娠小説として駆け出すことができないのだからそこは触れなくてもいいんじゃないか⁉︎と思ったが斎藤先生はそんなちっぽけなことに日和るお方ではなかった。
その証拠に高らかにこの「妊娠小説」という本を締めくくるテーマを発表している。

妊娠小説の主人公たちは、ちゃんと避妊をしていたのかっ!

み、身も蓋もない。

避妊に関する描写がないということだが大体のドラマや小説には避妊に関する描写がない。だが避妊をしたのかが事実であるかを立証するのは難しく、かといって実行していないことを立証するのも難しい。
斎藤先生も田中康夫の『なんとなく、クリスタル』を使用し、立証を試みたが以下のように終わる。

「私」がピルを常用していなかった証拠、<愛撫もそこそこに>と<私の中へ入ってきた>の間に「電光石火のごとくコンドームを装着し」等の手続きが行われなかったという保証は、じつのところどこにもない。
書かれてもいないことの事実認定をしよとの企てがそもそもの誤りなので、解明されるべき「怪」があるとすれば「小説の人々はなぜ避妊をしないか」ではなく「小説にはなぜ避妊が書かれないか」だろう。


声を出して笑った。
確かに妊娠小説に出てくる男たちの中にこのような避妊具装着術を持つ者がいた可能性もあり得る。
妊娠小説における避妊問題についていくつかパターンがあるらしく斎藤先生はそのパターンについても詳細に記述している。

避妊が存在しない世界だった(異界型)
避妊を実行しなかった(避妊非実行型)
正しい避妊の知識を持っていなかった(知識不足型)
正しく避妊を実行できなかった(運用失敗型)

どうだろう。
私なんかは、もうワクワクしてくる。
避妊非実行型については男女ともに頭も股もゆるふわであるとしか思えないが、いずれのタイプにおいても細やかに言及し裏づけをし、納得させてくる。
ほかにも中絶の対応をする産婦人科医や看護師がどれだけ妊娠小説を盛り上げ、彩りを加えているか、妊娠小説それぞれに妊娠の濃度があり、それはどれくらいのものかなども説いてくださっている。
確かに女性の妊娠中絶描写時に登場する産婦人科軍団はそれはもう禍々しいものがあり、なぜかと思っていたが斎藤先生の弁で納得できた。

斎藤先生の「妊娠小説」を読んだことによって、私が今まで読んできた小説のなかで
(そういえばあれ、妊娠小説じゃん!)
と思い当たった作品が複数あったが、どんなに「文学の名作ですが、なにか?」とすました顔をしていても目を凝らすと男女がナニしてデキちゃったという小説、と思えると何やら愉快な気持ちになる。
これは正式に文学ジャンルのひとつとして、ダ・ヴィンチあたりで特集してほしい。
 書店でも盛大にPOPを作って『妊娠小説大特集!!!』を開催し、古今東西のあらゆる妊娠小説をお知らせしていただくというのはどうだろう。
書店の減少で存続が危ぶまれる昨今、これくらい尖ったことをやればSNSでバズって来店客や売り上げアップもワンチャンあるのではないか?知らんけど。

斎藤先生の鋭い切り口や秀逸な言葉選び、私の力不足によりしっかりとお伝えできている自信がまるでないので、とりあえず「妊娠小説」読んでみてほしい。




妊娠小説というジャンルを知ったうえで、個人的に1番とんでもねえなと思う作品は源氏物語だ。

今から肉を買ってくる

本日は通院のために午前中から動いた。
何もない休日なら二度寝、三度寝、四度寝くらいをブチかますが、本日病院に行けなければ服用している薬が切れてしまう。
少しでも日々を過ごしやすくするために必要な労力……と言い聞かせ、休みの前日ということで夜更かしをした重いカラダをなんとか動かした。

通院は20分程度で終わったがなんとなくそのまま帰る気分ではなかったので書店と文房具店を回り、手帳とそれに要する諸々のツールに目星をつけて帰る。
文房具関連は見かけたときにテンションが上がって購入→全く使わず良さを実感しない、という事例が多発している。
流石にこれではお金の無駄遣いであるし、各企業様の商品に詰め込んだ企業努力も感じずにいるので文房具の類いは衝動的に買わないほうがよい、と結論づけた。
こうして未来に少しでも楽しみを残しておくことで日々を過ごす活力したい、という目論見もある。
久しぶりに文房具店に行ったがやはり企業様の努力が遺憾なく発揮され、目を丸くするような商品に出会えたことは僥倖だ。

そこから帰宅し夕方というにはやや早い時間帯に自宅に着いたが、前日の睡眠不足と午前から動き回ったことが祟り先ほど目を覚ました。
この睡眠から逃れられない体質のせいでかなり損をしている。
バイタリティとは。
目が覚めると妹から某緑のSNSからメッセージがきていたためチェックする。
本日の夕飯は肉だったらしい。
そこで朝に林檎を食べたきり何も口にしていないことに気づいた。
私も夕飯の調達をせねば。
肉、買ってこよ。




余談ではあるがブログタイトルに規則性をなくすことにする。
いちいちそれに沿ってタイトルをつけるのも面倒だ。
自分からやりだしたことなのに途中でほっぽり投げるところが自分らしくて嫌になるし安心もする。